今回は、日本でリングで活躍し、その後に若くして亡くなられたファイターの方々を紹介させて頂きます。
マイク・ベルナルド選手
マイク・ベルナルド (Mike Bernardo,1969年7月28日ー2012年2月14日)
南アフリカ共和国出身、ケープタウン出身です。日本ではおなじみの選手ですね。
「南アフリカの剛腕」「南アフリカの大砲」などの異名。
アンディ・フグ、ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストとともに、Kー1初期の”K-1四天王”として君臨。ライバルであるジェロム・レ・バンナら
とともにK-1の発展に大きく貢献しました。
日本では髭剃りメーカーのCMなどに出演。多くのテレビCMやバラエティ番組にも出演し、温厚で明るくサービス精神旺盛なキャラクターで、
「ベルちゃん」の愛称で親しまれました。
ゲーリー・グッドリッジとのリマッチはド迫力でしたね。↓↓↓
2012年2月14日、母国・南アフリカのケープタウンで死去。42歳没。自宅で亡くなっているのを家族によって発見されました。
ケビン・ランデルマン選手
ケビン・ランデルマン(Kevin Randleman、1971年8月10日ー2016年2月11日)
アメリカ出身の総合格闘家、第5代UFC世界ヘビー級王者です。
レスリング出身(アメフトでも優秀な成績をおさめている)で優れた身体能力をもち、弾丸のようなタックルと強力な鉄槌を武器にしていました。打撃も強く、全盛期のミルコ・クロコップにも勝ちしています。
PRIDEでは驚異的な跳躍力を披露するパフォーマンスにあやかって”リアル・ドンキーコング”と呼ばれました。跳躍力がすごかったですね。桜庭和志選手や中村和裕選手などの国内強豪選手とも判定負けですが試合しています。
2016年2月12日に家族がランデルマンの死去を報告、死因は肺炎による心不全で、44歳の若さでした。
レミギウス・モリカビュチス選手
レミギウス・モリカビュチス(Remigijus Morkevicius、1982年8月10日 - 2016年12月21日)
リトアニアの男性総合格闘家、キックボクサー。
ZESTに参戦し、所英男選手や矢野卓見選手といった国内強豪選手に勝利し、HERO’Sへ参戦。HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決 勝【ミドル級トーナメント 準々決勝】ではのちに王者になる高谷裕之選手にもマウントパンチで勝利。
高い打撃技術から、途中からはK-1 WORLD MAXへ参戦。K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜【1回戦】で魔裟斗選手とも戦っています。
小柄ながらファイトスタイルがミルコ・クロコップ選手ににており、「リトアニアの闘神」 「小さなミルコ」の異名もありました。
試合動画はこちら↓↓↓
2016年12月21日に故郷であるリトアニア第2の都市カウナスにある芝生の上で 倒れて横たわり 複数の銃弾を受けた遺体で発見された。34歳の若さでした。
ハイアン・グレイシー選手
ハイアン・グレイシー(Ryan Gracie、1974年8月14日 - 2007年12月15日)
ブラジルの男性柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身。ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーの次男カーロス・ホブソン・グレイシーの四男。
兄弟には、同じく総合格闘家の次男ヘンゾ・グレイシーや三男ハウフ・グレイシーがいます。いわゆる”グレイシー一族”ですね。
グレイシー一族ですが、10代の頃は柔術よりもケンカに明け暮れていたそうです。「グレイシー一族の問題児」「グレイシーのケンカ屋」など異名を取った。
ハイアン選手は珍しく、PRIDEでは日本人としか対戦していません。7戦5勝2敗で、桜庭選手には負けています。
試合動画はこちら↓↓↓
ハイアン・グレイシー氏が2007年12月15日(日本時間16日)、サンパウロの拘置所で死亡しているのを発見された。死因は不明。33歳だった。
彼の死に関してはいろいろな憶測もながれています。
アンディ・フグ選手
アンディ・フグ (Andy Hug, 1964年 9月7日 - 2000年 8月24日 )
スイス ・ チューリッヒ 出身の 空手家 、 キックボクサー 。K-1 GRAND PRIX '96王者。K-1 GRAND PRIX '97 準優勝、K-1 GRAND PRIX '98 準優勝。
ピーター・アーツ、アーネスト・ホースと、マイク・ベルナルドとともに創成期のK-1四天王として活躍。
K-1ヘビー級ファイターの中では決して大きくない身体であった。身長180cm。空手ベースの不屈の精神で、最後まであきらめないファイトスタイルにファンは魅了されました。また、リベンジマッチでの強さをみせた。
得意技は、かかと落とし、後ろ回し蹴り、左のフック。
かかと落としの試合動画はこちら↓↓↓
2000年8月24日に正道会館東京本部で記者会見が行われ、アンディが入院先の日本医科大学付属病院にて急性骨髄性白血病によって危篤状態であることが発表された。
病気についてはアンディが周囲に心配をかけることを嫌い、家族にすら知らせていなかったとのことです。同日に他界。35歳という若さでした。