過去、多くの日本人がUFCへ参戦しましたが、歴史上誰一人チャンピオンにはなれていません。
それは堀口恭司選手でも岡見勇信選手でもなく、、、宇野薫選手です。そう、“総合格闘技のパイオニア”といわれる宇野選手です。
画像引用:mmaplanet.jp
宇野選手は2000年に“修斗のカリスマ”と呼ばれて絶大な存在であった佐藤ルミナ選手をKOして修斗ウェルター級王座につきました。
2001年からアメリカの総合格闘技団体であるUFCに参戦!
デビュー戦がなんと日本でも活躍したジェンズ・パルバー選手とのUFCバンタム級(現在のライト級)でのタイトルマッチでした。
このタイトルマッチは残念ながら0-2の判定で敗れてしまいます。ワタシも当時この試合を観ましたが、ほんとにかなり惜しかったです。
もし勝っていたら、語り草として今も残っていたと思います。UFC初代バンタム級チャンピオンの宇野薫となっていました。
ビックチャンスを逃してしまいました。
2003年に行われたUFCライト級王座決定トーナメントの決勝で、BJペン選手と対戦します。この試合は、決勝戦といっても1回戦のあとの突如の決勝です。
BJペン選手はのちにUFC史上2人目のUFC二階級制覇王者になった強豪で、五味隆典選手とも2003年に対戦し3Rにチョークスリーパーで下しています。
宇野選手とBJペン選手とは2001年に一度対戦しており、開始11秒で宇野選手がKO負けしていました。そこからの今回は再戦でした。
結果は、ほんとに大激戦。大激戦の末に引き分けに終わりました。二度目のチャンスを逃してしまいます。悔しかったと思います。
その後、2003年にはエルメス・フランカ選手にKO負けしてとうとうUFC離脱となりました。
UFC参戦後のトータルの戦績は3勝3敗1分けでした。おしくも黒星となった対戦相手はジェンス・パルバー、BJペン、エルメス・フランカと、UFCやWECで活躍した超一流選手たちでした。
2度もUFCタイトル戦に挑み、日本人ファイターとして最もUFCチャンピオンに近づいた男。それが宇野薫選手です。
それは2006年のHERO’Sミドル級のタイトルです。
この大会では、開幕戦でまずオーレ・ローセン選手を下し、準々決勝で長身のブラック・マンバ選手に苦戦しつつもチョークスリーパーで下します。準決勝では、UFCにも参戦したアイヴァン・メンジバー選手になんとか判定で勝利。
いよいよ決勝まで進み、当時最強だったJZカルバン選手に残念ながら判定で敗れます。JZカルバン選手は翌年も2年連続でタイトルを手にしました。
宇野選手は元修斗の世界ライト級チャンピオンですが、もし修斗のタイトルを得ていなかったら本当に”無冠の帝王”で現役生活を終えていた可能性もあります。
逆に、あと一歩のチャンスをものに出来ていたら、
- UFC初代バンタム級(現在のライト級)王者
- 修斗世界ライト級王者
- HERO’S 2006 ミドル級王者
- DREAMライト級王者
など、さらに輝かしい実績を手にいれていたことと思います。
ただ、宇野薫選手が国内で一流の総合格闘家というのは周知されています。
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